世の中も、他人も、自分自身も信じられない。そんな思いを抱えて生きにくさを感じていませんか? 自分自身に生きる価値を見いだせず、自ら命を断つ人が増えています。私たちの身近でも、社会や自分を取り巻く人たちに不信感や敵意を持ち続け、
自殺者が年間3万人台が続く日本では、
私たちの身近でも、社会や自分を取り巻く人たちに不信感や敵意を持ち続け、世の中も他人も信じられない。
そして、自分自身の生きている意味も価値も実感できない……こんな思いを抱えている人もいるのではないでしょうか。
「誰も信じられない」
……こうした思いはどこから生まれてくるのでしょう。人間は生まれて間もない乳児期(0~2歳頃)に「基本的信頼」を獲得すると言われています。言葉が使えない赤ちゃんは、主に母親に対して泣いたりわめいたりすることで、自分の感情を伝えます。
このとき母親がそれを受け止めて対応し、表情や言葉を投げかけて安心させてあげることで、子どもは母親に対する信頼を感じます。
これが「人を信じていい」という信念につながり、
その信念を持つことで初めて、自分自身も生きる価値があると信じることができるのです。
しかし、乳児期に自分が発したサインを受け止めてもらえなかったり、サインに対して逆に、恐怖を与えられるようなことがある場合、
人生の一番最初で「信頼」ではなく「不信」をより多く獲得するようになります。
すると、「母親も家庭も、世の中も、自分自身も信じられない」という思いにつながり、大人になってから社会への適応がうまくいかないこともあるようです。
乳児期を経て、幼児の頃になると「自分でやる」という自律性や自主性が発達していくのですが、そのときにはダダをこねたりぐずったりと、子どもには反抗的な態度が目立ってきます。
しかし、こうした一見「反抗」とも取れる態度は自分と親を区別し、1人の人間として生きていくための基礎をつくるための大切な行動なのです。
この時期にそうした欲求を受け止められず、否定され、制御され続けるとどうなるでしょう。また、何でも親が先回りしてやってしまい、子どもが自分なりに考え、自分で選んでチャレンジする機会を与えられないままに育つとどうなるでしょう。
表面的には「いい子」に見えても、心の底では「自分の力でやりたいのにできない」「自分はこうしたいのにできなかった」という言葉にできない不満を抱えるようになります。
それが後になって、問題行動となって爆発することもあります。また、自分で創意工夫して生きていく力を信じることができず、逆境や困難な課題に遭遇したときに「自分でなんとかやってみよう」という勇気を持ちにくくなってしまうのです。このように、
人間性の基本となる部分は、自我が芽生える前、そして自我が育つ時期に形成されます。
そのため、「どうして私だけ苦しいんだろう」「生きにくいんだろう」と悩み、他人や自分自身を信じることができない人は、そう思う自分の根っこの部分に、親の関わり方が影響しているのかもしれません。
そんな自分に気づいた場合、その気持ちを一度親に、それが無理なら話を聞いてくれる誰かにぶつけてみるといいでしょう。
「自分は苦しかった」「こう受け止めてほしかった」という思いを打ち明けてみると、自分の心の中にあったしこりが解けて、次の目標に目を向けることができるかもしれません。
また、親の関わり方が「生きにくさ」に影響していると考える人たちの自助グループに参加してみる、というのも一つの案です。
同じ苦しみを持ち続けてきた人と素直な気持ちを交換しあうと、生きるための勇気やアイディアが湧いてくることがあります。
ただし、ひとつ注意したいことがあります。たしかに、「こうなったのは親のせいかもしれない」と原因に気づき、自分の軌跡を振り返ることは大事です。
しかし、原因ばかりを深く堀り続けたところで、残念ながらそこから「生きやすさ」につながるヒントを得られることは少ないものです。
大切なのは、今、ここから自分なりにできることをやり、親の影響からの卒業を目指すことです。
そのためにも、
まずはありのままの自分を出し、受け止めてもらうことから、一歩歩き出してみてはどうでしょうか。