梶原 大暉(かじわら だいき )は、小学3年時から「筑紫丘ファイターズ」で野球を始め、中学では軟式で全国大会の出場経験もある強豪「福岡ベースボールクラブ」で投手として活躍したものの、2015年、13歳の時に練習に向かう途中で自転車で交通事故に遭い、右足のひざから下を失い、左脚にもまひが残ったがバドミントンの存在を知り、打ち込むようになる。
【梶原 大暉(かじわら だいき KAJIWARA Daiki】のプロフィール
(画像 : Yahoo!検索から引用)
日本の男子パラバドミントン選手。
ダイハツ所属
梶原 大暉の国籍
梶原 大暉の出身地
福岡県出身
梶原 大暉の生年月日
2001(H13年)/11/13
梶原 大暉の干支
巳(へび)年
梶原 大暉の星座
蠍(さそり)座
梶原 大暉の好きな食べ物
担々麺(小辛)
梶原 大暉の趣味
野球観戦。好きなチーム:福岡ソフトバンク
梶原 大暉のコーチ
草井篤
梶原 大暉の出身校
日本体育大学
梶原 大暉の血液型
型
梶原 大暉の障害種別
切断/欠損
【梶原 大暉のエピソード】
小学校時代には軟式野球の強豪チームで、ピッチャーおよびショートで活躍。全国大会にも出場するチームの中でも主力選手だったという経歴は、彼がバドミントンをプレーする中でも随所にうかがえる。培った肩の強さは、車いすを操りながら強力なクリアーで押し返すというパラバドミントンのプレーでも大いに生きているようだし、その練習風景を見ていると、彼が少年時代にグラウンドでユニフォームを真っ黒にしながら厳しいノックに食らいつく姿が、容易に想像できた。自身のノックが終わっても、一番端のコートまで車いすを漕いでいって、仲間に「とれる! まだ、まだ!」と声をかける。アジアユースパラ出場を控えた同年代および年下の選手たちとの練習は、梶原がキャプテンを務めたこともあり、まるで少年野球チームのような雰囲気だった。
【梶原 大暉の特記事項】
日本障がい者バドミントン連盟のコーチおよびスーパーバイザーを務める草井篤コーチによれば、梶原の最大の強さは「試練をも楽しんで乗り越えようとする、もともと持っている人間力の強さ」だという。インタビューからも、若者らしい屈託のなさ、厳しい練習も楽しく取り組もうとする明るさ、そして等身大の自分自身を受け入れて、前進していこうとする真っ直ぐな心を感じることができた。
ぜひ、パラバドミントン界のニュースターの素顔と、彼が思い描く「未来予想図」にふれていただければと思います。
梶原 大暉の過去の成績
パラリンピック | ||
---|---|---|
金 | 2020 東京 | 男子シングルス WH2 |
銅 | 2020 東京 | 男子ダブルス WH1-WH2 |
世界選手権 | ||
金 | 2022 東京 | 男子シングルス WH2 |
金 | 2024 パタヤ | 男子シングルス WH2 |
アジアパラ競技大会 | ||
金 | 2022 杭州 | 男子シングルス WH2 |
梶原 大暉の世界ランキング
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