浮気、借金、暴力が離婚の三大理由と言われて久しい。では三大理由以外で女性が離婚を決意する理由はいったい何なのか。モラハラは精神的な苦痛を与えるDVの一種です。時に嫌がらせの範疇を超え、慰謝料の請求も可能になりますので、モラハラ夫との・・・
どういう状況、状態においても人は「その環境に慣れてしまう」ものだ。
慣れてはいけない場合であっても、それが当たり前の日常になってしまうこともある。
今も変わりはないのかもしれないが、それ以外の理由で別れる女性たちも少なくない。
それを探っていくと、「今どきの夫婦のありよう」や「妻が夫に求めること」などが見えてくるかもしれない。
「私は娘から、夫のモラハラを指摘され、ようやく別れる決意をしました」
Aさん(40歳)の実例。
26歳のとき、職場の先輩と結婚した。仕事ができる人だったし頼りがいもあったという。
「当時の7年先輩は大きかったですね。私は尊敬している先輩と結婚できて嬉しかったけど、その力関係のまま結婚生活が始まってしまったような気がします」
27歳で長女を、29歳で次女を産んだ。「お父さんを中心に」、常に家庭を作ってきたという。
「夫がまた一昔前のタイプでした。でもうちの父親もそういう人だったから、なんとなくこんなものだろうと思っていたんです」
専業主婦だから、といつも家の中をきれいにし、お惣菜や冷凍食品など買ったこともなかった。
子どもが小さい時は、自分が熱を出しても家事炊事は完璧にやった。
「しかし、残業代も減って実質、夫の給料は目減りしているし、一方で学費も習い事代にもお金がかかる。
子どもたちに不自由させたくなかったから、長女が中学に入ると同時に私もパートに出るようになりました。
夫は『オレの給料でやっていけないのはおまえのやりくりが下手だからだ』と言ったんですが、そのときは家計簿を全部見せて納得してもらいました」
パートに出てみて、いろいろな世代の女性たちと話す機会が増えてみると、夫に対して「感じないようにしていたこと」が、「やはりおかしいこと」に変わっていった。
思い起こせばずっとそうだった、とAさんは言う。
「子どもが幼稚園時代にイタズラしたときも、夫は『おまえの教育が悪いからだ』と・・・熱を出しても風邪をひいても、私のせい。子どもの成績が悪くても、『おまえの頭が悪いからだ』って。
一応、夫と同じレベルの大学なんですが。
それでも、この人は私を下に見ることで自分のプライドを保っているんだろうと気にしないようにしていたんです。
だけどパート先で本音で話せる友だちができてみると、やっぱりうちの夫はかなり横暴だわと思うようになりました」
いつだったか、Aさんが髪をショートにしたことがあった。
自分では気に入っていたのだが、夫は「美人はショートカットが似合うけど、おまえじゃなぁ」とため息をついたという。
そうやって長い間、夫によって自信を喪失させられてきたのだ。
それでも我慢できると思っていたんです。夫は娘たちには悪い父親ではないと思っていたから。
でも長女が高校生になったころ!
『お母さん、私たちのために我慢しなくて良いんだよ』と言い出した。
長女は中学時代に一時期、不登校になったことがあったんですが、それについては夫に内緒にしていたんです。
娘はそのことを私に感謝しながらも、『私はお母さんがずっとお父さんにバカにされながら暮らしていることがイヤだった、今もイヤだ!』と泣きながら訴えてきて、子どもたちのためにと思ってがんばってきたのに、と私は複雑な気持ちでした。
だが、Aさん自身、父親に罵倒されている母を見るのがつらかった記憶がよみがえった。
同時に夫からのモラハラについて、自分でもいろいろ調べてみた。地域の女性センターにも相談に行った。
娘たちとも毎日話し合いました。
特に長女は“人権”ということを非常に一生懸命考えたり調べたりしていた。
ここは一度、反旗を掲げてみるのがいちばん良いんじゃないかという結論になって
Aさんは結婚記念日を選び、いつになく凝った手料理を作って夫を待った。
娘たちは近くの親戚の家に遊びに行き、夫婦だけの時間を作ってくれた。
夫は料理を見るなり、いつになく上機嫌になって。やはり私さえ我慢すればという思いがわき起こってきたけど、その気持ちを振り捨てて、夫に対して今までの不満をぶちまけました。
いつまでも会社での先輩後輩のままの関係だと苦しいと訴えたんです。
でも夫は聞く耳をもたなかった。
最後は『おまえは誰のおかげで毎日ごはんが食べられるんだ』と言い出した。
そこで娘たちが入ってきて、【もうだめだよ、お母さん】って
娘2人はこっそり帰ってきて様子をうかがっていたのだ。
長女に言われてからずっと、Aさんは夫のモラハラや暴言を録音してきた。
このときの話し合いも、もちろん録音してある。
母と娘2人は翌日、急遽、親戚が用意してくれたアパートに引っ越し、そして証拠品をもって弁護士の元へ行き、離婚手続きに入った。
夫は一度も戻ってこいとは言わなかった。プライドの高い人だったんでしょう。
たいした財産はなかったけど、でも半分、きっちりもらいました。
娘たちの学費も夫が払うことになりました。
最後に夫に会った時、『かわいい娘たちを授かったことは感謝してる』『今までありがとう』と言ったのに、夫からはひと言もありませんでした。
飼い犬に手を噛まれたような顔で、目を背けましたね。
ああ、こういう人だったのかとがっかりしました。
気づかなければ、見て見ぬふりをしていれば、結婚生活はまっとうできたかもしれない。
だが、『私たちが自立したら、お母さんはどうするつもり? それでも90歳まで我慢するの?』と長女に言われて、Aさんは目覚めた。
振り返れば“自分自身”を見失ったような結婚生活だった。
夫を怒らせないよう、夫に文句を言われないようにと顔色ばかりうかがっての結婚生活は大きな間違いだった。
10年経った今、あの時 娘達が背中を押してくれて離婚に至ったことには、後悔していません。可愛い孫もできて今はとても幸せです。